
院長コラム
ラ・クリニカは開院20周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。


ラ・クリニカは開院20周年を迎えました。これも、何度もご来院頂いてる多くの患者様のおかげと、スタッフ一同、心から感謝をしております。

ずいぶん久しぶりのコラムになってしまいました。
ウクライナ戦争が始まってから、戦争の悲しい映像が流れ続けてきて、そして戦争はウクライナ以外でも次々に勃発して、コラムを書くテーマも、心の余裕すらありませんでした。
戦争は昔から何の罪もない民間人を巻き込んできました。兵士だって我が家に帰れば普通の民間人なのですが・・・
この悲惨としか言いようのない戦争を起こすのは何か?それはいつの世も器械ではなく、しょせん限られた人なのです。
人間は誰でも必ずミス、過ちを引き起こします。過ちを起こす存在なのです。
過ちが起きた時のために、人間は、民主主義など過ちを防ぐ仕組みを色々と考えてきました。
でも今はその仕組みがあまり働いていないようです。だから僕は絶望してしまうのです。
だからといって絶望していても何も変わりません。
1人1人が、今何が出来るのか、今何をすべきかを考えなくてはいけない時だと思います。


最近気になるのは、自分で自分のお肌を「不健康」にしている患者さんが多いということです。
お肌を清潔にしていれば、お肌も健康になると思っている方が多いのです。
ところがお肌を清潔にしようとし過ぎて、かえって皮膚を傷つけて、シミ・シワ・ニキビなど、お肌のトラブルをひどくしている患者さんが多いのです。
たとえば、毎日お風呂で、ボディーソープをつけたタオルでからだをゴシゴシ洗うと、お肌は傷だらけになります。つまりお肌は「不健康」な状態になってしまうのです。
エアコンの空気は乾いていて、汗が少なくなります。
ところが、適度の汗は、お肌に潤いを与え、乾燥を防ぎ、しかも汗に含まれている成分は、お肌をバイ菌から守る作用もあるんです。
そのため、汗が少なくなると、お肌は乾燥し、お肌は不健康な状態になります。
クレンジング・洗顔はお肌を乾燥させます。
クレンジング・洗顔をし過ぎて、自分のお肌を乾燥(不健康に)させて、自分でシミ・シワ・タルミ、ニキビを増やしている方が多いのです。
「清潔」も度を過ぎれば、お肌に悪いのです。
先日運転免許を更新して、マイナンバカードと運転免許が一枚になりました。
マイナンバーカードにも臓器提供意思の記入欄があります。
つまりもしあなたの心臓が停まったり脳死になった時に、あなたの臓器を移植して誰かを助けるか否か、というあなたの意思表示です。
ところが日本ではまだ臓器移植に抵抗を感じる方が多く、臓器移植があれば助かるはずの多くの命が奪われています。
もしあなたの子どもが、心臓移植が必要になったら移植を望みますよね?
でもあなたが脳死になっても自分の臓器を他人に移植はしない、というのは、
『矛盾』していると思います。
愛する人に移植が必要なときに心臓移植を求めるのなら、自分が脳死になったときには心臓を提供する。それが公平というものではないでしょうか。
難しい選択であることは間違えありません。でも厳しい言い方になりますが、
『矛盾』は身勝手であり、自分さえよければいい、というようなものだと思います。
自分や家族が脳死になった時のことを話し合ったことがありますか?
最悪のケースは誰だって考えたくありませんが、考えておく必要があります。
『まさか』というのは起きることがあるから『まさか』なのです。
さてこれは誰の言葉でしょうか?
ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪『ネズミ男』の言葉です。
でも人間はこの妖怪の言葉さえ守れていません。
クリスマス、日本では多くの人が華やいだ気持ちでツリーを見上げていました。
でも世界には、いえ日本にも悲しい気持ちでツリーを見上げ、祈り・願う人が多いのです。
来年は、どんなに小さなことでもいいですから、そのような人たちにしてあげられることを、見つけてもらいたいと思います。
そうしないと、本当に人間が終わってしまうと思います。
ご存じ『ネズミ男』
ウクライナ キーウにて
梅雨になると雨は嫌われることも多いのですが、古来、日本では雨の神様が与えてくれた「恵みの雨」とも考えられていました。雨の神、山の神、さまざまな神様が与えてくれた自然の命、すべてが神聖なものと考えられました。八百万の神という考え方です。
ですから食べるということは、命をいただく神聖なものとも考えられてきました。
神聖な自然界とそうではない人間界の区切り、
つまり日本では結界を作るという意味で、
一番手前にお箸を横向きに置きます。
日本では、食事をする前に「いただきます」という言葉を使いますね。
命をいただく感謝の言葉を伝え、お箸を持つことで結界をときます。
「食べる」ということは、神聖な食べ物、命をいただくという行為なのです。
お箸を持つことは神様の世界に入ることなのです